みなさんおはようございます。

 

 

日米野球の歴史の中で語り継がれてるは1934年(昭和9年)、ベーブ・ルース、ルー・ゲーリッグなど大リーガーを相手に日本は16戦全敗。

その時の日本のエースは沢村栄治(読売巨人軍 背番号14)

沢村は17歳で大リーガー相手に160キロを超える速球で素晴らしいピッチングをしたのは有名な話です。

その後、沢村は戦争に3度も度重なる徴兵で肩を壊し27歳で戦死した悲運のエース。

 

その後、読売巨人軍の「打撃の神様」と呼ばれた川上哲治は日本プロ野球史上初の2000本安打を達成し巨人軍の第一次黄金時代を築きあげました。

川上は現役引退後、長嶋茂雄・王貞治を率いて巨人軍の黄金時代、プロ野球史上唯一の9連覇を成し遂げました。

川上は野球に対し、非常に厳しく「管理野球」「鉄のカーテン」などと呼ばれ、選手たちを徹底的に厳しく管理したそうです。

 

川上がどんどん連覇記録を更新してることに目を付けたのが日本が誇る大企業「世界のトヨタ」です。

トヨタの会長は巨人軍が名古屋で中日戦があるときには、川上監督をはじめ、長嶋・王など選手たちに来てもらい幾度となく話を聞いて勉強したそうです。

 

そこから生まれたのがトヨタ「カイゼン方式」だったそうです。

・良いものを安く売るのは難しい

・現状に満足せずに、今よりもっと良くする

・自ら対策を考え、改善していく

これらはすべて川上哲治が監督として選手に話をして実践していることを、トヨタが実践したそうです。

 

川上は選手たちを集め「自分がいるからとか、自分が活躍したからなんて言ってるのは大間違いだ! 野球はチームでやるものだ! 巨人軍の一員として居られる環境に感謝し、それが自分の成長になり、チームが成長する。 いい試合をし成績を残していけば社会から認められ、社会に貢献できる」

まさしく野球も企業も同じだと思います。

 

川上哲治がつけた背番号「16」、大リーガーを相手に160キロを超えるスピードボールで勝負した背番号「14」の沢村栄治、そして長嶋茂雄 背番号「3」、王貞治 背番号「1」は今も巨人軍の誰もつけることは出来ない永久欠番に。

1934年から90年が経ち、アメリカ大リーグでは大谷翔平が活躍し、かつてはイチロー、野茂英雄たちも。

 

名を残している日本の指導者たちは緻密で繊細でレベルが高いです。

いずれアメリカ大リーグには選手だけでなく、日本人が大リーグの監督になる日が来るんだと思います。

 

それでは今日も心に太陽を持って、素敵な一日をお過ごし下さい(*^^*)